扉の間-メインドア
扉の間のメインサイトのブログ。更新からつぶやきから愚痴に至るまでの困ったちゃん。
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悲しくて、苦しくて、少し寂しい
土曜日、久しぶりに会った人がいました。
土曜日、猫を各種強奪(違)しました。
土曜日、たくさん話をしました。
そして、少し泣きました。
いえ、別に泣かされたわけではありません。
いやいや、思い出して泣いただけです。
直接は関係あるけどないです、だって楽しかったし。
土曜の午後の秋葉原(色々あって昼の約束がずれました)
どう見てもパーティ向けコスプレグッズの数々
酔いそうなくらいの人の波
ちょっと疲れたけど(歩いたしね、秋葉原だしね)パン屋さんで食べたパンは美味しかったし
思わず本屋で本も久しぶりに買ったしね。
最近はネット通販が多かったからなあ……やっぱり紙の本だよね!
本は良いね、特に手触り!
本当は、言うつもりはなかった。
彼は、癌で死んだ。
癌だと判った時、彼はすでに全身が転移していてどこが原因か判らないほどひどかった。
医者は余命3ヶ月だと言った。
父親は「俺の誕生日に死ねば、きっと一生忘れない」と言ったら本当にそうなった。
だから、予定日より長生きした分は「神様の贈り物」だと親が言った。
少しだけ「くそ食らえ」と思った。それなら、なんでけち臭い日程しかくれなかったのさ、と。
どうして「来年の」ってつけてくれなかったのだろう、せめて。と、少し思った。
無茶な事だって判ってた。だから言わなかった。
「そこまで行ったら、もう苦しくなかったかも知れない。いっそ、一思いに死んだ方が良かったのではないか?」
そんなの、言わなくても少しは想像した。
だから僕の完全なエゴだってのも判ってる。
相手が犬だからって理由で、保険がかからないから痛み止めも使わなかった。
死ぬのが判っていたから。
一度の薬が高額だったから。
酷いといいますか?
非道だと思いますか?
そうかも知れない。
だって、それでも。
最後にはものを食べる事も出来ず、無理につめても吐いて下痢をする彼を。
毛もぼろぼろで痩せ細って、すっかり軽くなってしまった彼を。
それでも良いから生きてて欲しかった。
別れたくなんてなかった。
二度と会えないなんて思いたくなかった。
「死んだらもう、二度と会うことはない」と言う事を、本当には知らない人が意外に多い事を。
僕は知っている。それも、少し悲しい。
癌が発覚した直後、一人の知り合いと喧嘩状態になったらしい。
らしいってのもおかしな話だが、僕の行動が相手にとって我慢できないほど酷いものだと思われた。
嫌われた。
でも、正直どうでも良かった。
知り合いは健康だ、少なくとも今すぐ死んだりはしないだろう。だから安心だ。
何かあるとしたら5~6年後だ。生死にかかわるかどうかも気にならない。
だけど、彼には時間がない。医者は3ヶ月持たないと言っていた。同時に、今すぐかも知れないとも言った。
どうして、僕の周りの医者はそんなことばかり言うのだろうかと思った。
泣いた。
悲しかった。
苦しかった。
動揺した。
周りなんてどうでも良かった。
だって、貴方達は今すぐどうにかなったりしないから。
時間がなかった。
そんな時、親が彼を風呂に入れて乾かしている間に落とした。
洗濯機の脱水機の上で、カバーは僅かに湾曲な傾斜をしているから足を滑らせたのだ。毛を切っていなかった事も原因の一つだ。
しかも、そんな日に限って知り合いから「話し合いたい」とメールが来た。
無理だ。
何をどう話せというのだろう。
怒鳴りつけない自信などなかった。八つ当たりだ。
叫ばない自信などなかった。狂うに等しい感覚だ。
誰も彼も傷つけない自信など、どこにもなかった。
明日にも今日にも死ぬかも知れない、落とした事で寿命がどう削れるか判らない状態の家族と。どう考えても今すぐどうにもなるわけがない知り合いとでは、比べるべくもない。
犬だから?
人だから?
何の関係があるのさ。
最後通牒的に「もう自分からは連絡を取らない」といわれた。
ほっとした。
これで、少なくとも知り合いを半殺しの目にあわせなくて済む。家に火をつけたり社会的抹殺をしたくなるかも知れない衝動から開放された。
誰も傷つかなくて良い。
結局、彼は死んだ。
父親の誕生日だった。
最近までは、少し平気だった。
5月に盲導犬支援イベントで思わず沢ってしまった犬の手触りに、思わず泣いていた自分自身がいた。それから犬に触れる機会がないけれど、きっと大丈夫だと思いたかった。
久しぶりに再開した知り合いにも、八つ当たりをしなくて済んだ。良かった。
もし、まだ殴りたい衝動などがあったらどうしたら良いのだろうかと思っていた。そんな事あるわけない、関係ないのだから、八つ当たりにしても非道にもほどがあるだろう。そう言う方面で感情が動かなくて良かった。嫌いにもなってない、生きていてくれた。元気そうに見えた。
だけど、甘いのだと思い知った。
昇華してないじゃないか。
そして、思う。
彼は作られた生まれも、生活も、人生も人の手によって与えられた。
愛玩用として遺伝子を組みかえられた。
親の知り合いから無料(金額的には)で引き取られた。
やらなきゃなーと言ってる横で、結局は童貞のままで子供を作る事もなく皮膚病にかかり、その為に手術をして避妊手術を行った(と聞いてるから、きっとそうなのだろう)
必要なことだと言って医者につれて行かれ、注射をされ、手術をされ、ろくに一人で散歩も出来ず一日のほとんどを家の中ですごし、仰向けに寝たりしていた。
最後、彼は目もろくに見えなかった。立ち上がる事さえ出来なかった。
ソファの上で寝ていたのに、水を飲みたくて動かない体を動かして落ちたりしていた。
どれだけ怖かったのだろうかと思う、少しでも人を恨んだりしたのだろうかと思う。
痛かったのか、苦しかったのか、それは判らない。
時々、無性に悲鳴に近く鳴く声を聞いて、撫でてやると収まるのが痛々しかった。
ずっと一緒に居たかったけれど、動物の毛アレルギーからなる可能性のある喘息を理由に一緒に眠る事も規制されたし。生活の為に働きに出なければならないのも確かだった。
3月15日(金)
推定16時前後。
その日、寝坊した僕は彼に挨拶をしないで家を出た。
井戸の工事が入った為に両親は側に居なかった。
だから。
彼が、静かに息を引き取ったのか。
それとも、一声でも鳴いたのか。
誰も。
家族は知らない。
故に、僕は今。
涙を流す。
土曜日、猫を各種強奪(違)しました。
土曜日、たくさん話をしました。
そして、少し泣きました。
いえ、別に泣かされたわけではありません。
いやいや、思い出して泣いただけです。
直接は関係あるけどないです、だって楽しかったし。
土曜の午後の秋葉原(色々あって昼の約束がずれました)
どう見てもパーティ向けコスプレグッズの数々
酔いそうなくらいの人の波
ちょっと疲れたけど(歩いたしね、秋葉原だしね)パン屋さんで食べたパンは美味しかったし
思わず本屋で本も久しぶりに買ったしね。
最近はネット通販が多かったからなあ……やっぱり紙の本だよね!
本は良いね、特に手触り!
本当は、言うつもりはなかった。
彼は、癌で死んだ。
癌だと判った時、彼はすでに全身が転移していてどこが原因か判らないほどひどかった。
医者は余命3ヶ月だと言った。
父親は「俺の誕生日に死ねば、きっと一生忘れない」と言ったら本当にそうなった。
だから、予定日より長生きした分は「神様の贈り物」だと親が言った。
少しだけ「くそ食らえ」と思った。それなら、なんでけち臭い日程しかくれなかったのさ、と。
どうして「来年の」ってつけてくれなかったのだろう、せめて。と、少し思った。
無茶な事だって判ってた。だから言わなかった。
「そこまで行ったら、もう苦しくなかったかも知れない。いっそ、一思いに死んだ方が良かったのではないか?」
そんなの、言わなくても少しは想像した。
だから僕の完全なエゴだってのも判ってる。
相手が犬だからって理由で、保険がかからないから痛み止めも使わなかった。
死ぬのが判っていたから。
一度の薬が高額だったから。
酷いといいますか?
非道だと思いますか?
そうかも知れない。
だって、それでも。
最後にはものを食べる事も出来ず、無理につめても吐いて下痢をする彼を。
毛もぼろぼろで痩せ細って、すっかり軽くなってしまった彼を。
それでも良いから生きてて欲しかった。
別れたくなんてなかった。
二度と会えないなんて思いたくなかった。
「死んだらもう、二度と会うことはない」と言う事を、本当には知らない人が意外に多い事を。
僕は知っている。それも、少し悲しい。
癌が発覚した直後、一人の知り合いと喧嘩状態になったらしい。
らしいってのもおかしな話だが、僕の行動が相手にとって我慢できないほど酷いものだと思われた。
嫌われた。
でも、正直どうでも良かった。
知り合いは健康だ、少なくとも今すぐ死んだりはしないだろう。だから安心だ。
何かあるとしたら5~6年後だ。生死にかかわるかどうかも気にならない。
だけど、彼には時間がない。医者は3ヶ月持たないと言っていた。同時に、今すぐかも知れないとも言った。
どうして、僕の周りの医者はそんなことばかり言うのだろうかと思った。
泣いた。
悲しかった。
苦しかった。
動揺した。
周りなんてどうでも良かった。
だって、貴方達は今すぐどうにかなったりしないから。
時間がなかった。
そんな時、親が彼を風呂に入れて乾かしている間に落とした。
洗濯機の脱水機の上で、カバーは僅かに湾曲な傾斜をしているから足を滑らせたのだ。毛を切っていなかった事も原因の一つだ。
しかも、そんな日に限って知り合いから「話し合いたい」とメールが来た。
無理だ。
何をどう話せというのだろう。
怒鳴りつけない自信などなかった。八つ当たりだ。
叫ばない自信などなかった。狂うに等しい感覚だ。
誰も彼も傷つけない自信など、どこにもなかった。
明日にも今日にも死ぬかも知れない、落とした事で寿命がどう削れるか判らない状態の家族と。どう考えても今すぐどうにもなるわけがない知り合いとでは、比べるべくもない。
犬だから?
人だから?
何の関係があるのさ。
最後通牒的に「もう自分からは連絡を取らない」といわれた。
ほっとした。
これで、少なくとも知り合いを半殺しの目にあわせなくて済む。家に火をつけたり社会的抹殺をしたくなるかも知れない衝動から開放された。
誰も傷つかなくて良い。
結局、彼は死んだ。
父親の誕生日だった。
最近までは、少し平気だった。
5月に盲導犬支援イベントで思わず沢ってしまった犬の手触りに、思わず泣いていた自分自身がいた。それから犬に触れる機会がないけれど、きっと大丈夫だと思いたかった。
久しぶりに再開した知り合いにも、八つ当たりをしなくて済んだ。良かった。
もし、まだ殴りたい衝動などがあったらどうしたら良いのだろうかと思っていた。そんな事あるわけない、関係ないのだから、八つ当たりにしても非道にもほどがあるだろう。そう言う方面で感情が動かなくて良かった。嫌いにもなってない、生きていてくれた。元気そうに見えた。
だけど、甘いのだと思い知った。
昇華してないじゃないか。
そして、思う。
彼は作られた生まれも、生活も、人生も人の手によって与えられた。
愛玩用として遺伝子を組みかえられた。
親の知り合いから無料(金額的には)で引き取られた。
やらなきゃなーと言ってる横で、結局は童貞のままで子供を作る事もなく皮膚病にかかり、その為に手術をして避妊手術を行った(と聞いてるから、きっとそうなのだろう)
必要なことだと言って医者につれて行かれ、注射をされ、手術をされ、ろくに一人で散歩も出来ず一日のほとんどを家の中ですごし、仰向けに寝たりしていた。
最後、彼は目もろくに見えなかった。立ち上がる事さえ出来なかった。
ソファの上で寝ていたのに、水を飲みたくて動かない体を動かして落ちたりしていた。
どれだけ怖かったのだろうかと思う、少しでも人を恨んだりしたのだろうかと思う。
痛かったのか、苦しかったのか、それは判らない。
時々、無性に悲鳴に近く鳴く声を聞いて、撫でてやると収まるのが痛々しかった。
ずっと一緒に居たかったけれど、動物の毛アレルギーからなる可能性のある喘息を理由に一緒に眠る事も規制されたし。生活の為に働きに出なければならないのも確かだった。
3月15日(金)
推定16時前後。
その日、寝坊した僕は彼に挨拶をしないで家を出た。
井戸の工事が入った為に両親は側に居なかった。
だから。
彼が、静かに息を引き取ったのか。
それとも、一声でも鳴いたのか。
誰も。
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故に、僕は今。
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